TMS(CMS/GCMS)について 2

TMSコラム

著者:吉田 英樹(アドバイザリー)

 先のコラムではゼロから作り出した日本のレガシー的な財務システムと、通貨統合という制度的な対応によってEU諸国の財務業務がシステム化し、それがアメリカに展開されて標準化とグローバル化が進み、ようやっと日本にもその流れがやって来たという内容をお伝えしました。ここからは過去/現在/未来という時系列における日本の財務プロフェッショナル及びTMSについて書かせて頂きます。

 TCJアドバイザリーの大田氏が現場の第一線でご活躍されていた当時、ジャパン・アズ・ナンバーワンという著書に後押しされるかのごとく拡大し続ける日本経済は、黄金期にありました。企業には豊富な資金と行動力あふれる社員が(少なくとも現在よりは)たくさんいました。自分たちが世界をリードしなければならない、そして必ず実現できるという熱い思いと自信を持った社員が、日本経済をさらに拡大させたと言えるでしょう。事実としてその時代はさまざまな領域で日本が世界の最先端を走っていましたし、もちろん輸出大国でもありました。輸出が増えれば、各国の通貨の保有が増える、輸出する先が増えればその国の通貨を準備しなくてはいけない、このような課題を合理的に解決するための仕組みは当時どこにもありません。あったとしてもアメリカのブルーチップが社内の基幹システムとして保有するくらいで、門外不出のものでした。そのため自分達で作らなくてはいけないので、あるべき財務業務の理想形を描き、ワークフローを具体化し、機能を実現するためのシステム設計を自ら行わなくてはいけませんでした。そこには業務やスキルの垣根などは無く、役割や責任といった組織的な壁も存在しません。そのような環境がゆえにシステムも理解した財務プロフェッショナルが育ったと言えます。

 一方で黄金期の日本企業は本業よりも、いわゆる財テクによって営業外収益を得ることがブームとなっていました。当然、資金を管理する財務部門は運用部門の中核としての役割も担っていました。そこにバブル崩壊を迎えてしまいます。財テクによって多くの日本企業は多額の資金を失ってしまい、その責任を押し付ける形で財務部門の役割や権限、そして人財が大幅に減ってしまいました。加えて極端にリスクを取らない、つまり何もしない日本企業の姿勢が定着してしまったことによって、日本における財務プロフェッショナルが絶滅危惧種に至ってしまうという大きなきっかけとなりました。

 バブル崩壊後、日本の景気が絶不調のタイミングとなる1993年にEUが発足し通貨統合の議論がスタートしました。通貨統合という制度対応に迫られてTMSが作られて、それらを活用するEUのトレジャラーが財務プロフェッショナルとして成長し、その人財が増えるという日本と相反する流れによって、現在の日本の財務業務の高度化がグローバル標準から大きく出遅れてしまったことにつながっています。EUにおける制度対応によるTMSの導入が一巡したため、EUで設立されたTMSベンダーはアメリカに本社を遷すことや、アメリカの企業に買収されることによって、しだいに営業の軸足がアメリカに移り、さらにTMSのグローバル化は加速していきます。この流れでようやっと外資系のTMSベンダーが日本でサービスを開始しました。TMSベンダーの本社はEUやアメリカで普及した実績をベースに日本市場の販売計画を作成し、その普及に大きな期待を抱いています。この間違った期待については、TMSベンダーに限らず外資系企業に良くあることですが、日本企業の投資における決定プロセスを理解していないこと、日本企業の業務プロセスが非常に複雑なためにグローバル標準だけでは必ずしも適合しないこと、そして英語が通じないことなど、日本独自の市場性を理解できないことが原因なうえ、外国人の経営者や投資家にどれだけ説明しても「わかった」と口では言っても本質的にはなかなか理解できないようです。この認識相違による影響は現代から未来の課題と展望として、次のコラムでお伝えしたいと思います。

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